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人生にはどんな意味があるのだろう? 誰もが考える質問だと思います。
おもしろいことに、多くの人々は人生の意味を模索しながら、同時に「人生に意味などない」という進化論を信じています。 つまるところ生命は、何の意味もなく偶然に発生したのだし、その後はただ生き残るための必要に迫られて形を変えてきたにすぎない。神さまを信じるなんて馬鹿だなぁ~…と思っているわけです。
それでも、「人生に意味はない」と思うことには空しさが残るので、「意味は自分で見つけるのだ!」ということになります。そこにロマンを見い出そうとしています。「何が起きるか分からない人生だから面白いのだ」とか「偶然という人生の海に飛び出そう!」というふうに自分を振り立たせて生きようとします。あるいは、進化論を信じているんだけど、死後の世界もあるんじゃないかと思っているという、不思議なバランスの上で生きている。
それはそうです。あまり深く考えすぎると、人生にも、愛にも正義にも、何の意味もなくなってしまうのですから。自分は宇宙にポッと生まれた泡のようなもので、すぐにポッと消えてしまうのですから。「生きていてもしょうがない」とすぐに思ってしまうのですから。
この捉えどころのない、「人生」という「与えられた時空間」をどのように生きていったらよいのでしょう?
ボクの場合は「人生」に、「神を原点とする座標軸」を置くことによって、物事がすべてあるべきところに収まり「すっきり」としました。そして、今もその座標軸を愛好し、試しているところです。
神とは理知ある第一原因のことです。 例えば「宇宙」という、やはり捉えどころのない「時空間」について考えてみましょう。
多くの科学者たちは、宇宙の始まりとして「ビッグ・バン理論」を提唱しています。
ビッグバン理論は現在一番広く受け入れられている宇宙論である。 それは、今から100億年から200億年の昔に起こった爆発によってこの宇宙が始まり、引き続く宇宙膨張の歴史の中で素粒子や原子、分子、銀河、 星、生物、人間・・・が創られたと主張する。(ネットで見つけた定義)

宇宙に始まりがあるという理論は当初、科学者にとって受け入れにくいものだったようです。たぶん「神」に近づいてしまうことを恐れたのかもしれません。でも、観察できる「証拠」が多く見出された故に、今日では広く受け入れられています。
つまり、「ビッグバン」という始まりに「原点」をおいて、宇宙という時空をとらえようとしているわけですね。そうするといろいろな現象がうまく説明できるのです。
もちろん、「では宇宙が存在する前はどうなっていたのだ?」という解けない謎は残るのですがね。
参考に、ウィキぺデイアより
20世紀初頭では天文学者も含めてほとんどの人々は宇宙は定常的なものだと考えていた。「宇宙には始まりがなければならない」などという考えを口にするような天文学者は皆無だった。ハッブルも、柔軟な考えを持っていると評価されているアインシュタインですらも、「宇宙に始まりがあった」などという考えはまるっきり馬鹿げていていると思っていた。科学者たちは膨張宇宙論は科学では理解しがたく、宗教上の立場だと見なしていた
つまり、宇宙に始めがあるとは、あまり受け入れたくないんだけど、「証拠」の前にひれ伏したという状況でしょうか。でも、ひとたび受け入れて運用してみると、「これはいい」、「すっきりするぞ」というわけで、多くの科学者も認めるようになってきています。とても「科学的」なやり方だと思います。
そんなこんなで、(いきなり結論ですが)ボクは「理知ある(おまけに愛もある)第一原因」としての「神を原点」として、人生の座標軸を定めてみました。そしたら、何と痛快なことか! すっきりするんです! 多くの謎が解けるのです。聖書を「望遠鏡」あるいは「顕微鏡」として世界を眺めてみる時に、人生に説明がつき、意味と目的が生まれるのです! ですから、そんな人生の「座標軸」を持つことの「痛快さ」を、この自己満足ブログで語っているわけです。
………むむむ、「神を原点とする座標軸」という表現がちょっと気に入ったので、思いつくままに理屈っぽい記事を書いてしまいました。いや、そんなこと言ったら全部そうか。 m(豆)m