始めに立ち寄ったところはナザレの町の共同の水くみ場だった。深い井戸が掘られていて、水を汲むには石段を少し下りていかなくてはならない。大きな二つの水がめを満たすためには何度も往復しなくてはならなかった。
「いいか。二日に一度はここに水をくみにくるぞ。これはこれからお前の仕事になる。女たちのおしゃべりは気にするな。水くみも立派な仕事だ。鍛冶屋はきれいな水が命だからな」
ルークは水くみ用の、ヤギ皮で作ったバケツに井戸水を満たして何度も往復した。ひどく骨の折れる仕事だった。女たちは軽々と水かめを頭に乗せて運んでしまう。男としては弱音をはくことはできない。
やっと水を満たして、休む間もなく向ったのは、近くの大工の家だった。
「ジョセフと話してくるから少し休んでいろ」と言っておじいさんはいなくなってしまった。
大工の家はやはり小さな家だった。ルークのおじいさんの家と同じくらいの大きさだ。離れて建っている仕事用の建物のほうが大きかった。そこにはいろいろな種類の木材が並べられている。手押し車や、ロバが引く荷車も置かれている。小さな女の子が二人遊んでいた。ルークを見ては顔を見合わせ、くすくすと笑っている。姉妹のようだ。
姉につつかれた妹が近づいてきた。
「ねえ、あなた、歌は好き?」
「好きだよ。この国の歌はまだよく知らないけど」
妹はすぐに姉のところに戻って報告した。
今度は姉が近づいてきた。
「ねえ、あなた、えーと、年はいくつ?」
「もうすぐ十二歳になるよ。君は?」
すぐに妹のところに戻ろうとした姉にルークは尋ねた。
立ち止まった小さな女の子は、憤然としたような顔になって、
「女性に年を聞いてはいけませんよ」と大人のように答えてから笑って走っていった。
おじいさんが一人の男と一緒に家から出てきた。男はルークに笑いかけて言った。ギリシャ語だった。
「私の名前はジョセフです…ははは、ジーザスの父親だよ。君のおじいさんに仕事でお世話になってるんだ。息子みたいなもんだよ。ジーザスとはもう会ったんだろう? 変わったやつだけど君のいい友だちになると思うよ。よろしくね。ルークか。いい名前だ。君のお父さんは亡くなったんだってね。残念だったな。私は君の父親と同じくらいの年齢だろうから、母さんに言いにくいことがあったら相談してね。まあ、たいていのことはこのジョナサンが教えてくれるさ。厳しい爺さんだから泣かされたら我が家に逃げて来いよ。ははは。聖書や神についてはジーザスに聞いてくれ。あいつは何でも知っているよ。ははは」
ジョセフは気さくな人のようだった。ルークもすぐに好きになった。
大工の家から、荷車に積みきれないほどの木屑やおがくずをもらってからジョナサンとルークは家路に着いた。夏の陽はまだ高かった。おじいさんは少し疲れたのか静かにロバの綱を引いている。ルークは荷車の後ろを歩いている。異国の地を包む光は住み慣れた海沿いの町とはずいぶん違うように感じられた。空の色さえ違っているように今のルークには思われる。山に囲まれたこの町は本当の町なのだろうか。夢を見ているのではないだろうか。
『トロアスでの生活とずいぶん違う一日だったな。これからどうなるんだろう。何が僕を待っているんだろう。この母さんの神の国で』