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母のトモと息子のソランの目の前には広い海が広がっています。水平線の遠くには、島なのか半島なのかわかりませんが、緑の木の茂る陸が見えます。海風は冷たく、冬が近いことがわかります。砂浜を二羽の鳥がトコトコと歩いていました。
「僕たちみたいだね」
ソランは母に言いました。母は頬にえくぼを作り、黙って息子の肩を抱き寄せました。
遠くの砂浜に、貝を集めているらしい女の人が小さく見えました。長い髪を後ろでしっかりとしばっています。模様のついた暖かそうな服を着ています。トモとソランは顔を見合わせてから女の人に近づいていきました。
「あの、近くの村のかたですか」
夢中で貝を捕っていた女の人はすっと立ち上がって振り向き、二人を見つめました。少女のような笑顔を浮かべたおばあさんです。それがユーカおばあさんとの出会いでした。
海辺から急な坂を上った丘の上に、百五十人くらいが暮らす大きな村がありました。海を見下ろす台地の上に三十軒くらいの家が広場を囲むように建てられています。どの家も一部屋だけの、三角屋根の小さな住まいです。地面を腰の高さくらいまで掘り下げた広い竪穴に柱を立て、梁を渡し、乾いた草の茎を厚く並べて屋根ができています。
台地の木々を切り倒して村を作ったのです。村を囲むようにカシの木やナラの木が残されて立っていますが、西側の木々だけはきれいに切られていました。その広くなった空にフジ山がきれいに見えるのです。村の人々は朝に夕に、フジ山に向かって手を合わせ、村の安全を祈っていました。
《僕の生まれた村からはフジ山がもっとずっと大きく見えたっけ。今、村はどうなっているんだろう。お父さんは戦争で死んでしまったし》
ソランと母のトモは一か月近く、この村に身を寄せていました。二人の身の上を知った村人たちは親切にしてくれました。初めに海辺で出会ったユーカおばあさんが、夫婦二人だけで生活している自分の家に、ソランとトモを住まわせてくれました。夫婦の子供たちは皆大きくなって、自分たちの家を建てて別に暮らすようになっていたのです。
「ソランの母さんは本当に働き者だのう。海から毎日どっさりと魚を取ってきたり、山からは食べられる山菜をたくさん見つけてくるのだから」
おばあさんのユーカが声をかけます。手は忙しく麻糸を紡いでいます。
家の中は土間になっていますが、一面に草を編んだむしろが敷いてあります。小さな入口が一つと明かり取りのための小さな窓が一つあるだけです。柱と梁になっている太い丸太と、屋根の下地になっている細いたくさんの丸太が上手に組まれています。屋根の裏側も丸見えです。長い間に内側がすっかり黒くなった草屋根です。部屋の真ん中に火の燃える囲炉裏がありました。
ソランは石臼の上でどんぐりの殻を割って、中の実を石で細かく砕いていました。
「母さんは何でもできるんだ。泳ぎは村で一番早かったよ。小さいころからお転婆だったんだって」
「あれ、そうかい。はははは」
ユーカは目を細くして少女のように笑いました。
「それで、ソランは何が得意なんだい?」
「うんと、なんだろう? 歌うのが好きかな」
「そうかの。何か歌ってごらんな」
「うん」
ソランは好きな歌を歌いだしました。
さざ波の寄する浜
朝ゆかばハマナス咲き
夕ゆかば昔を想う
父と母いまいずこ
教えませカモメらよ
「良い声だのう。でも、悲しい歌だのう」とユーカは言いました。
「えっ、悲しい歌なの?」
ソランは今まで歌の意味を深く考えたことがありませんでした。
「そうだよ。年を取って死んでしまったお父さんとお母さんを思い出して歌っているんだよ」
「そうなんだ」
「人は年を取るとみんな元の土にかえって行くんだよ。だから生きている間にいっぱい動いて遊んで働いて、あちこちに足跡をいっぱいつけるのさ。そうすればどこかに一つくらいは雨も風も消すことができない足跡が残るかも知れないからのう。ほれ、そこの丸くなってるタマだって、あちこちに足跡をのこしておるよ。ははは」
猫のタマは名前を呼ばれて上げた顔を、丸めた体のなかに、すぐに埋めてしまいました。
「でも、たとえ何にも残らなくっても、きげんよく生きることが出きればそれでいいのさ。子供や孫と楽しく暮らせればなおのこと、神様にいっぱい感謝して、あとはゆっくり眠ることができるんだよ。だから本当はそんなに死を悲しまなくてもいいのだけれどのう」
「ふーん。じゃあ、父さんも今は土になって眠っているのかな」
「そうだよ。ソランの父さんはソランという足跡を残してくれたのさ。感謝しなくちゃのう」
「ふーん。僕は父さんの足跡なんだ……。僕はどんな足跡を残すんだろう」
「それはこれからのソランしだいさ。まだ知らない広い世界に行ったらいい。この海をわたったところにも人が住む世界があるよ、きっと」
ユーカおばあさんはソランを愛しそうに見つめて言いました。
「さあ、お手伝いはもういいから外で遊んできなさい」
「はい」
ソランは嬉しそうに顔を輝かせました。
外は寒いけれど村の中央の広場には元気な子供たちがおおぜい集まっていて、にぎやかな声が響いています。女の子たちは固まって羽根つきをしています。羽根とは、黒くてかたい木の実の種に鳥の羽を上手につけて作ったものです。細長い木の板を使って、この羽根を地面に落とさないように突きあうのです。女の子たちの服には赤や青の模様がきれいにつけられています。
年上の男の子たちは大人の男たちの指示を受けて相撲のための土俵を作っています。土を盛り上げてから、杵でたたいて固めます。何度も繰り返すと、しっかりした立派な土俵になるのです。この土俵から落ちるか、足の裏以外の体を土につけたら負け、という決まりになっています。毎年二回、寒い月と暑い月に近くの村が集まって相撲大会を開きます。男たちの楽しみにしている、祭りのようなものです。今回はフジミ村が大会の場所になっていました。
「おい、ソラン。来いよ。こっちだよ」
マサトが声をかけてきました。ソランと同い年の少年です。
「みんなで相撲しようぜ」
マサトの掛け声に、近くにいた少年たちが集まってきます。
「やろうぜ」
「よしきた」
地面に木の枝で丸い線を描いて簡単な土俵を作ります。五人ずつに分かれて一組ずつ対戦をします。年上の少年が審判を引き受けました。
「よーい。はじめ」という掛け声とともに試合が始まります。すばしっこい子供は丸い輪の中を右へ左へと駆け回って相手のすきをついて押し出す作戦です。大きい子供につかまれたらひとたまりもありません。抱えあげられて土俵の外に投げ飛ばされてしまいます。ソランは、体は大きくありませんが腰が落ち着いて安定しているので、がっぷりと組み合う勝負でも何度か試合に勝っていました。でも、今回は九歳の、体の大きなカツヤと当たってしまいました。
互いに向き合って腰をかがめて待ちます。
「よーい。はじめ」
掛け声と同時にカツヤはソランに思いっきり体をぶつけてきました。もう少しで土俵から押し出されそうになりましたが、体をかわしてなんとかよけました。カツヤは両手を大きく上げて迫ってきます。ソランは力まかせにカツヤの腰に頭をつけて押しましたが、びくとも動きません。カツヤはそのまま大きな体をソランの上にかぶせてきました。上から押しつぶそうという作戦です。ソランは背中にすごい重みを感じましたが、「えいやああ」と声を出しておもいっきり腰を伸ばしました。油断していたカツヤは土俵の上に頭から転がってしまいました。
「おおおっ」
「やった」
子供たちはいっせいに声を出し、ソランをたたえました。
「ソランの勝ち」と審判が告げました。
起き上がったカツヤもソランをほめました。
「やられたな。お前は腰が強いな。練習すればもっと強くなるぞ。今度の大会の子供相撲に出てみないか」
マサトもソランの肩を抱いて言いました。
「そうだよ。俺と一緒に出ようぜ。今年はタロウとトシと、ソランと俺とカツヤが出れば、子供相撲で優勝できるかもしれないぜ」
ソランは喜んでうなずきました。
《この村はいいやつばかりだな》
「ソラン、夕食よ」
母のトモが呼んでいます。あたりはすっかり暗くなっていましたが、子供たちは何も気にしないで遊んでいたのです。子供たちは暗闇でも見える不思議な目を持っているのでしょうか。
「じゃあな」
ソランは少年たちに手を振ると家に戻りました。家の中は暖かくなっています。囲炉裏に勢いよく火が燃えています。トモは薪をわきへ寄せて火を小さくしました。土鍋の中には魚汁が煮えています。アワやヒエが一緒に煮込まれているのでとろりとした汁になっています。おばあさんのユーカとおじいさんのジロウが嬉しそうに笑顔を浮かべてトモとソランを見つめていました。おじいさんはもうお酒を飲んでいます。話好きなおじいさんは、とても背が高いのでセイタカというあだ名で呼ばれています。トモが作ったイカの塩辛をおいしそうに口に運んでいます。「ほーい」が口ぐせです。
「ほーい、トモとソランはすっかりうちの子供と孫のようになったな。トモの作る料理はおいしくてたまらんよ。お前たちさえよければ、いつまでもここにいても良いのじゃがな」
おばあさんのユーカも嬉しそうに言います。
「そうだよ。お前たちの帰る村はずっと遠いところにあるんだろう? 無事に帰れるかどうかも分からないし、無理をして行くことはないよ。トモは美しいから妻にしたがる男もたくさんいるさあ」
ソランは母の顔をみつめます。この村を気に入っているので、ここで暮らしてもいいのにな、と思いました。でも母は笑いながら言いました。
「お二人の親切、ありがとうございます。この村は本当に良いところですね。でも、帰らなくてはならないのです。故郷の村でわたしを待っている人たちがいるのです」
セイタカおじいさんが何かを思いついたように言いました。
「ほーい、そういえば、トモの故郷は西の高い山脈を越えたところにあるサク村というんじゃろう?」
「はい、そうです」
「最近は西や北の山のほうから暖かい海辺の土地を求めて移動してくる人らが多いんじゃが三年前に移ってきた人らの村が、二日ほど歩いたところにあるそうじゃ。やはり西の山の向こうからきたらしい。ここの人らにトモの村に行く道のことを聞いてみるといいかもしれないな。村長はまだ若いのじゃが、なかなかの人物らしいぞ」
トモは目を輝かして答えた。
「そうしてみます。春になったらすぐに行ってみます。そういえば私の故郷の村でも、村長の父が海辺の広い土地へ移ることを考えていました。もう七年以上前のことですけど。もうどこかに移動していたらどうしよう。でも見つけるまであきらめないわ」
母の決意が固いことは分かっていましたが、ソランは本心をもらします。
「お母さん。どうしても見つからなかったら、この村で暮らせばいいよ。友達もできたし、ボクはそれでもいいよ」
トモは笑いながら言いました。
「そうね。ソランはこの村が気に入ったのね。この村の皆さんのおかげで本当に助かったわ。もし、どうしても見つからないなら、このフジミ村の仲間に入れてもらいましょうね」
「うん」
ソランは少しほっとしました。本当は、長い旅をして母の村を探すことが不安だったのです。