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「また、明日な」
「またな」
強い海風に負けない、若い元気な声が、暗くなりかけている船着場の石畳の道にこだました。
「ちゃんと学校(スコラ)こいよ、ルーク」
「お前こそサボるなよ、テオフィロ」

離れていく二人の友はしばらくしてから振り返り、また叫んだ。
「またなー」
「またなー」
お互いが小さく見えるようになってから、また叫ぶ。
「まーたーなー」
「まーたーなー」

大きく手を振った少年は、小さな路地へと角を曲がる。二階建ての石造りの家が並ぶ、ゆるやかな坂道を少し歩いて、登りきったところに少年の家はあった。夕暮れの空にシルエットとなっている家はローマ式の大きな三階建てだ。二階にある広間の窓から暖かな光が漏れている。立ち止まって明かりを見上げる少年の顔にわずかに憂いの影がさした。

一階の玄関の大きなドアを開けるとそこは塀に囲われた中庭になっている。中央に四角い池があり、様々な水草で飾られている。その池の両隣りには、同じ大きさの四角い花壇が一つずつ作られていて、このあたりでは珍しい南国の植物が植えられている。すらりとしたアビシニアンが二匹駆け寄ってきた。少年によく懐いている。

「ただいまソクラテス。いい子だね。おい、噛むなよ、プラトン。気が強いな。おなか減ってるのかい」

一階の食堂で働く女中が、「お帰りなさいませ。ちゃんと勉強してきましたか」とにこやかに声をかけてきた。「まあね。腹ペコさ」と元気に返事をしてから、二階に続く石造りの階段を少年は上った。上りきったところは広いテラスになっていて、広い港の全景を眺めることができる。夕暮れの海面には、船の灯す明かりがきらめいていた。西の空は沈んだ太陽が残す光で蜜柑色に染まっている。海は深い紺色の揺りかごのように船たちを抱いて静かに揺れている。
 
トロアスの港は、ギリシャやローマ、遠くは西のスペイン、東のイスラエル、南のエジプトからの商船が出入りする大きな港だ。ギリシャの誇る文明の風はエーゲ海をわたって吹き寄せ、この歴史ある港町にも絶えざる変化と活気を与えている。港に浮かぶ帆船の、競うように趣向を凝らした飾りには見飽きることがない。船首に、白鳥の頭と首を模した金色の大きな彫り物が着いた船は、白い帆の翼をはためかせて飛ぶ巨大な鳥のように見える。美しい女神が鷹の羽をつけ、中央のマストの上に悠然と立ち、船を海の危険から守っているのはスペインからの商船だ。ローマの軍艦はひときわ人目をひく。その長い船体の横腹に一列に突き出したオールが、号令のもとに綺麗に水を切って進む。赤、金、白、青、黄…行き交う船たちの、国々の威容を誇る多彩色な姿は、見る者に時を忘れさせる。

絶えず多国籍の人々でごったがえしている港から少し離れた小さな船着場でも、地元の漁師たちがにぎやかな叫び声をあげながら日々の暮らしを営んでいる。よく水揚げされる魚はイワシだ。捕りたてのイワシの揚げ物やマリネは、神の恵みの味覚として庶民の毎日の食卓に並ぶ。夕方の今、漁師たちの無事を願う、女や子供たちの祈りに引き寄せられるように、飾り気のない小船たちが戻ってきている。

この夕暮れの港を、父と母と共に眺めることがルークの日課だった。しかし、今、父はいない。

『母さん…今日は元気かな』
ルークは思わず口元を引き締めた。

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