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物の言い方というのは難しい。

励ますつもりの言葉が人を傷つけてしまう。
優しく諭したつもりが不機嫌を買ってしまう。

イエス・キリストはそんな苦い思いをしたことはないのだろうか?

偽善的な人々を厳しい言葉で糾弾する言葉は良く知られている

(マタイ 23:27, 28) 偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は白く塗った墓に似ているからです。それは,外面はなるほど美しく見えますが,内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです。そのように,あなた方もまた,確かに外面では義にかなった者と人に映りますが,内側は偽善と不法でいっぱいです

もちろん、こうした言葉は反感を買った。イエスを憎む者たちは彼を杭にかけて殺したのだから。

この記事で考えたいのは敵対者に対するイエスの言葉ではない。
イエスを慕って集まってきた人々、とりわけ、日々彼と歩みを続けた弟子たちに対するイエスの物言いである。

興味深い言葉がある。敵対者に対しては語られなかった言葉だ。

「信仰の少ない人たちよ」

イエスはどのような語調で語ったのだろう?
聖書中の個所は全部で5回だ。すべて引用する。

(マタイ 6:30, 31) …神が,今日ここにあって明日かまどに投げ込まれる野の草木にこのように衣を与えておられるなら,ましてあなた方に衣を与えてくださらないことがあるでしょうか。信仰の少ない人たちよ。それで,思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。

(マタイ 8:24‐27) …ところが,見よ,大きな動揺が海に生じ,舟は波をかぶるのであった。それでも,[イエス]は眠っておられた。そこで[弟子]たちはやって来て彼を起こし,「主よ,わたしたちをお救いください,わたしたちは死んでしまいそうです!」と言った。しかし[イエス]は言われた,「なぜあなた方は小心なのですか,信仰の少ない人たちよ」。それから[イエス]が起き上がって風と海を叱りつけると,大なぎになった。それで人々はすっかり驚き,「これはどういう方なのだろう,風や海さえ従うとは」と言った。

(マタイ 14:29‐31) …[イエス]は,「来なさい!」と言われた。そこでペテロは舟から降り,水の上を歩いてイエスのほうに行った。ところが風あらしを見て怖くなり,沈み始めたときに,「主よ,お救いください!」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして彼をつかみ,「信仰の少ない人よ,なぜ疑いに負けたのですか」と言われた

(マタイ 16:5‐9) …さて,弟子たちは向こう側に渡ったが,パンを携えて行くのを忘れた。イエスは彼らに言われた,「じっと見張っていて,パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい」。それで彼らは,「わたしたちはパンを少しも持って来なかった」と互いに論じはじめた。これを知って,イエスは言われた,「パンを持っていないことで,どうしてそのように論じ合っているのですか,信仰の少ない人たちよ。まだ要点が分からないのですか。…

(ルカ 12:28, 29) …では,神が,今日は存在しても明日はかまどに放り込まれる野の草木にこのように衣を与えておられるなら,ましてあなた方には衣を与えてくださるのです。信仰の少ない人たちよ。それで,自分は何を食べるのだろうか,何を飲むのだろうかと尋ね求めるのをやめ,心配して気をもむのをやめなさい。

引用の一つ目と五つ目は似たような状況で語られたのかもしれない。

文脈から明らかなことは、イエスは親しい弟子たちに対して「信仰の少ない人たちよ」と語られているということ。そして、語気を荒らげたり冷徹に言い放たれたりした言葉ではなかったということ。

この言葉を向けられた弟子たちは、「もっと信仰を持ちなさい」と優しくたしなめられているように感じたことだろう。敵対者に対する歯に衣を着せない言葉とは全く違う語調で語られたことに疑いはない。

例えばペテロ個人に向けられた時の状況を考えよう。

嵐の湖面を勇敢に歩き出したペテロだが、途中で恐怖を感じて沈み始めてしまう。

「信仰の少ない人よ、なぜ疑いに負けたのですか?」

断言できる。ペテロは生涯この言葉を忘れなかった。彼の腕をつかむイエスの手の力と感触もまた。

断言はできないが、老いたペテロの殉教の瞬間、この言葉は彼の脳裏に響いたであろう。
そして、「主よ。私は疑いに負けませんでした」と誇り高く呟いたかもしれない。

「言葉」と呼ばれたイエス・キリストは、まさに言葉の達人だ。
簡潔かつ当意即妙の言葉は聞く人に感銘を与え、長く残る記憶を与える。

まして、愛する者たちに向けられた親愛の情のこもる言葉は、たとえイエス一流の反語の形を取っていたとしても、いや、それ故にこそ一層、忘れがたい教訓として愛された弟子たちの胸に刻まれたのだ。

ああ、主よ。私にもお語りください。「信仰の少ない人よ」と。

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