⇒For English version, click here!

第一章 旅の始まり  

むかしむかし、もっとずっとずっと昔、日本の国がまだ「ヤマト」とよばれていたころのこと。

七才になったばかりの男の子ソランは、お母さんのトモと二人で旅をしていました。お母さんが生まれて育った故郷の山の村を探して、何日も何日も、ただひたすらに歩き続ける旅でした。夜の空に浮かぶ丸い月が、夜ごとにだんだん欠けて半分になり、やがて弓のように薄くなり、とうとうどこにもなくなってしまったと思ったら、花のつぼみのように少しずつふくらみ始めて、また瞳のようにまあるい形になる。そんなことが、もう三回も続きました。季節はどんどん寒くなり、きっともうすぐ雪も降ることでしょう。

旅の始まりはソランの生まれた大きな村がほかの村との戦争に負けた時でした。母はソランの手を取って夢中で走り続けたのです。自分の家の草屋根が赤く燃えている様子はずっとソランの目に焼き付けられていました。

旅の途中にある小さな村や大きな村で、着る物や食べ物を分けてもらいました。どの村の人々も皆、やさしくしてくれました。その村で暮らすように勧めてくれる人々もいましたが、母は同じ場所に三日とはとどまりませんでした。少しでも早く故郷の村に行きたかったのです。 途中に人の住む村がないときは、夜の眠りのために雨や風をよけることができる場所を探します。大きな樹の穴の中や岩の影や洞窟で夜を過ごすこともありました。草で作ったむしろが暖かな布団になりました。

「母さん、これは食べられる?」 ソランは取ったばかりの茶色の木の実を母に見せました。ソランの体には草のむしろが巻かれていて、足にはわらで編んだ靴がしっかりとしばりつけられています。きょうは陽が照る暖かな日だったので、体に巻いているむしろが少し暑くて汗をかいていました。  

息子が差し出した茶色い実を見て、母の頬はゆるみました。母の手には摘んだばかりの大きなキノコがあります。 「あら、サルナシだわ。これは熟すと甘くなっておいしいのよ。わたしの大好物だわ。どこにあったの?」 「こっちだよ。川のところさ」  ソランはトモを連れて少し坂を下ります。小川が流れる元気な音が聞こえてきます。  小さな川に沿って生えているカワラハンノキの枝に絡みつくように、サルナシの木のつるが広がっていました。数えきれないほどの実がなっています。

「キキッ」  ソランとトモが近づくと小さなサルが二匹逃げて行きました。 「あっ、ごめん。驚かしちゃったね。少し僕らにも実を分けてね」  ソランはサルに声をかけました。二匹のサルは少し離れたブナの木の枝でじっとこちらを見ています。黄色く紅葉した木の葉がまだ枝に残っていますが、風がふくといっせいに降ってきます。枯れ葉が地面の上に厚く積もっています。キツツキが木をたたく音が聞こえてきました。木の皮の中にいる虫を見つけて食べているのです。

「もう寒くなるから熟した実が多いわね。袋に入るだけ取りましょう。こうやって食べるのよ」 母はそう言うと、柔らかそうなサルナシの実を丸ごと口にいれました。茶色の皮がつるっとむけて、緑色の甘い果実が出てきます。母は上手に皮だけを口からぷっと吐き出しました。ソランは母の様子を見て笑いました。 「母さん、子どもみたいだ」 「そうよ。子どものころからずっとこうやって食べていたのよ。故郷の村は山の中だったから、子供たちはみんなサルみたいに育ったの。だから森の中なら食べ物の心配はないわ。木の実だけじゃなくて野草も食べられるし、土を掘れば木の根や草の根だって食べられるものがいっぱいあるのよ」 ソランも真似をしてサルナシの実を口に含んでみましたが、とても酸っぱくて顔をしかめてしまいました。 「ボクは先月、ハコネ山の中で食べたヤマボウシの赤い実のほうが好きだな。ずっと甘かったもの」 「甘いのもあるわよ。これを食べてごらん」  母が差し出したサルナシの実はよく熟していて、少し酸っぱいけれど、とてもおいしいものでした。目を丸くしたソランを見て、トモも目を丸くして笑いました。

母のトモは澄んだ小川の流れの中をのぞきこんで言いました。 「あっ、イワナかな。この時期には珍しいわね」 ソランものぞいてみると意外に大きな魚が泳いでいます。黒っぽい体に赤や白の小さな斑点がついています。トモは木の枝で作ったヤスで魚をついて捕まえる名手でした。さっそく手頃な木の枝を探し始めました。以前にソランも真似をして魚をヤスでついたことがありましたが、体をさしぬかれて苦しむ魚を見ることが悲しくて、それきり二度としたことがありません。母が焼いてくれた魚はおいしくたべるのですけれども……。 ソランは、母さんと一緒なら安心だ、と旅の間に何度も思いました。

「今日はここで夜を過ごしましょうね」 あっという間に魚を四匹も取ってしまった母は明るい声で言いましたが、その顔は少しくもっています。 「毎日ずいぶん寒くなって、もうすぐ雪も降るようになるかもしれないから、残念だけどこのまま故郷の村に向かうことは危険だわ。まだ道がよくわからないし、高い山を越えなくてはならないの。少しでも暖かい場所で冬を過ごして、春になったら行くしかないと思う」

「母さんの村には母さんのお父さんとお母さんがいるんでしょう?」

「そうよ。きっと私たちを暖かく迎えてくれるわ。元気でいてくれればいいのだけど。それに……」  母は何かを思い出すような目になりました。

「それに…お兄さんのように私と一緒に育った人も、きっと待っているわ。会いたい」  

強い風が吹いて木の枝にしぶとく残っている木の葉を散らしました。 ソランは川原の大きな岩の影に場所を決めると、弓ときりを使って火をおこし始めました。弓の弦を巻きつけて、きりを勢いよく回転させるのです。すぐにきりの先から煙りが立ち始めます。そこに置いてある細かな木屑が熱くなるからです。もう少し木屑をのせてから煙に息をふーっと吹き付けると小さな炎がポッと灯ります。その炎をかわいた草に移せば大きな火になるのです。旅の間に、ソランは火起こしがすっかり上手になっていました。

今日はおいしい焼き魚が食べられそうです。夜の間に火をたくための薪をもっと集めなくてはなりません。火をたいておけば体を温められますし、森の動物に襲われる心配もないのです。 魚は木の枝を突き刺して、たき火で焼きました。残り少ない塩を味付けに使います。大切に使っている小さな土鍋でキノコを煮て、アツアツの汁物ができました。大きいキノコはそのまま焼いて食べます。すごく良い香りがしました。たくさんとったサルナシの実は好きなだけ、いくつも口に放り込みます。

食事が終わるころ、夕日が森の木の幹を赤く照らしはじめました。ソランとトモは急いで夜の間に燃やすための薪を集めます。途中の村で分けてもらった草のむしろを二枚合わせて、トモは上手に袋を作っていました。母と子のそれぞれのための袋があります。夜はこの袋にすっぽりと入って眠るのです。荷物にはなるけれど、このむしろの袋がないと寒くて眠れません。 夜になると満月が森の梢を照らしました。耳を澄ますと森の小さなささやき声が聞こえてくるような気がします。

ソランはたき火の火を見つめながらいろいろなことを考えました。戦争で死んでしまった優しかったお父さんや、もう二度と会えないかもしれない、村の仲間たちの顔が目に浮かびました。母のトモは疲れているのでしょう、ぐっすりと寝ています。腰まであった黒髪をバッサリ切って、今は肩に届くほどの長さしかありません。 ソランは時々起きては薪を火にくべます。少し前までは母がそうしてくれたのですが、「僕がやるよ」とソランは言いました。母のトモが少しでも楽になってほしいと思ったからです。

虫の鳴く声が、川の水の流れる音と一緒になって静かに夜の歌を歌っていました。時々フクロウの鳴く声が歌に加わりました。ソランはいつの間にか眠りに落ちていました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です